「人生が変わる出版」とは?ーー僕が出版プロデュースをする理由。

      2021/05/12

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こんにちは、出版プロデューサーの岡山泰士です。
クリエイトブックスのサイトを訪れてくれて、本当にありがとうございます。

あなたは「本を出版して人生が変わった」という話をどこかが聞いたことがありませんか?
僕はこれまで120冊以上の本をプロデュースしてきましたが、出版の前後で人生が変わらなかった人は、一人としていません。
みなさん多かれ少なかれ、出版が人生のターニングポイントになり、大きな飛躍をしています。
特に、処女作、つまり人生初の本を出版した人ほど、劇的に人生が変わっています。

僕がなんのためにクリエイトブックスという出版社を立ち上げたのかというと、
多くの人に、このすばらしい「出版」という体験をしていただくことを通じて、
「人生が変わるお手伝い」をするためなのです。

ここでは、自己紹介がてら、クリエイトブックスを始めた経緯をお伝えすることで、
たまたまこのサイトを通じてご縁ができたあなたの
「人生を変える」きっかけにしていただければと思い、この記事を書いています。

●大好きな出版社を辞めなければならなかったワケ

僕は山と溪谷社という山と自然の専門出版社に25才で入社しました。
高校は山岳部、大学はワンダーフォーゲルという山歩きサークルに所属する大の山好き、自然好きで、
山と溪谷社の本や雑誌は小学生のころから読んでいただけに、まさに天職でした。

愛読者は皆親しみを込めて「ヤマケイ」と呼ぶのですが、そのヤマケイをどれだけ好きだったかというと、小学生のころからでした。
家に『ヤマケイカラーガイド』という図鑑が何冊もあり、知らず知らずに手に取り、読んでいたのが最初の出会いだったのです。
中学になると、近くの図書館にある「探検・冒険」コーナーの本はほとんど読み漁っていたのですが、特に、当時世界一のクライマーだった「ラインホルト・メスナー」のドキュメンタリーに胸を躍らせました。そして、その本を出版していたのも山と溪谷社だったのです。
そのラインホルト・メスナーに憧れ、高校では当然、山岳部に入りました。
高校の部室には月刊誌『山と溪谷』の30年分のバックナンバーがあり、暇なときはいつも読んでいました。
ワンダーフォーゲル部だった大学時代には『山と溪谷』の読者モデル(アルバイト)として、残雪期の南アルプス甲斐駒岳に登りました。おまけにその時の写真が表紙になったこともあり(『山と溪谷』1991年12月号)、いつまでも心に残る本当に楽しい取材でした!

背中しか写っていませんが(笑)雑誌の表紙に掲載されたのはこれが最初でした!本当にたのしい取材体験で、その後の「人生を変える」きっかけになりました。

大学から大学院までは植物生態学の研究室に所属していましたが、
そこにいるメンバー全員が山と溪谷社刊行の図鑑(ハンディ図鑑シリーズ)を愛用していたのです。
当然、僕も一冊買って、日本各地のフィールドに持ち歩いたのはいうまでもありません。

その頃は大学院に進んで研究者への道を模索していたのですが、自分よりもはるかに優秀な人たちでさえ全く就職できない(大学で採用されない)現実を目の当たりにして考えを変えつつあるころ、久しぶりに大学図書館で月刊『山と溪谷』をパラパラめくっていると、社員募集の案内が出ていたのです。僕の脳裏に数年前の楽しかった取材登山のシーンがありありと蘇ったのはいうまでもありません。
就職試験の勉強もろくにせず、実際テストの点も悪かったのですが(後で採用担当だった部長に教えてもらいました)、面接の際、僕が山と溪谷社に何をもたらし、どのようなことを実現したいか、明確なビジョンを伝えたこともあり、その志ひとつで採用されたのです(簡単にいうと、出版未定の図鑑の刊行と、デジタル化です)。

入社後、『山と溪谷』編集部に配属されると、誌面を通して知っていた編集者や著者、カメラマンやイラストレーターが大勢いました。だから、一読者として身近に感じていた世界に、今度は誌面づくりという立場で参加できる毎日が、たのしくてしかたなかったのです。

その後、書籍編集部に異動となったのですが、2冊目に企画編集した本『オーロラ 太陽からのメッセージ』が新聞各紙の書評欄に取り上げられてベストセラーになったこともあり、社内でも徐々に編集者としての仕事ぶりを認められて行きました。

朝日新聞など数々の新聞書評に取り上げられて、ほんとうに嬉しかったです!

 

またカレンダー事業に可能性を見出して、社内でプロジェクトチームを「勝手連」として立ち上げ、営業部との調整や、出版時期や原価の取りまとめなどの裏方仕事を進めるうちに、会社公認のプロジェクトマナージャーとなりました。
その後の様々な施策が功を奏して、10年後には業界のシェアナンバーワンを獲得。業界誌『新文化』にもインタビュー記事が掲載されるまでになりました。

カレンダーの仕事では、華道家の假屋崎省吾先生とご一緒させていただいています。1日で13作品を作るすばらしい集中力と才能を間近で拝見できるのが、この仕事の醍醐味です。

 

ところがその後、出版不況で会社が傾き、銀行が入ったりしてすったもんだした挙句、山と溪谷社は売却されて、ある一部上場企業の子会社になったのです。
この時、不良在庫の処分などに伴い、親会社に対して4億の負債を負わされての「第二のスタート」
となりました。
「これでようやく給料カットもなくなる!」
と大喜びするみんなの中にいて、僕はこの4億円の意味を考えざるを得ませんでした。

(これがある限り、ヤマケイはお荷物だ。早くこれを返さないとたいへんなことになる...)

僕はますますカレンダー事業に力を入れることにしました。
そしてちょうど4年後、カレンダー事業単体の収益が毎年2億出ていたこともあり、4年で4億を完済することができたのです(会社決算が1億の黒字でした)。
「ようやく、これで肩の荷が下りた」
もちろん喜びもありました。ところが、そのとき僕はふと我にかえったのです...。

僕が仕事にかまけている間に、学生時代から一緒だった最愛の奥さんが原因不明の病で倒れ、
食事が喉を通らないばかりか、
目も耳も不自由な状態に陥っていたのです--。

それまでは彼女の実家のご両親に面倒を見てもらうなどしながら、なんとかやり過ごしていたのですが、
もうとてもそれで対応できる状態ではなく、医者にも原因不明と見放され、すでに現役を退き体力も落ちていた義母や義父に、これ以上の負担をお願いするわけにも行きません。

僕はさんざん悩んだ上で、とうとう大きな「人生の決断」をしました。
「ちょうどマンションのローンも完済しているし、今なら退職金も出る。いっそ独立して、自分の力を試す時ではないか?」
「その方が、奥さんの介護をしながら自分のペースで仕事ができる」

事業アイデアはありました。僕は思い切って、それを試すことにしたのです。

●出版界に革命を!

それまでに出版界をいろんな立場で見てきたので(労働組合の委員長から出版健保の互選議員まで務めました)、いい面だけでなく、当然わるい面、旧態然とした課題の数々にも直面していました。

最悪なのが「流通」です。

読者の立場で言えば、すでに当時からアマゾンではオーダー翌日には「送料無料」で本が届いていたのですが、本屋では、在庫の有無もすぐにわからないばかりか、仮に在庫が確保できても頼んでから読者の手元に届くまで1、2週間かかることはざらでした。

著者の立場から見ても、大きな問題がありました。
それは、ある程度、本が売れなくなると「絶版」といって、本の流通がストップさせられるのです。
これには一定数をまとめて印刷しないと原価割れしてしまうので、重版の判断が難しいという問題と、倉庫代や在庫価値(資産か不良在庫かの判断)との兼ね合いもあり、構造上の問題でもありました。

また出版社側から見て一番の問題は、書店さんからの「返品」です。書籍は委託販売なので、売れなかった本はそのまま返品されてくるのですが、たいていは汚れたり折れたりして、破棄の対象になるか、汚れた部分を削り、カバーをかけ直し、再出荷するまで倉庫で保管します。
そのためわざわざ返品専門倉庫を持ち、パートのおばさんたちの手を煩わせながら、再び出荷するまで長期間にわたって保管しなければなりません。
ところがその大半は、再び陽の目を見ることもなく、結局は処分されることも多いのです。

このような流通の仕組みは、戦中・戦後にかけて書店取次が統廃合されてから続いている旧態然としたもので、かつて元気だった雑誌という大衆メディア(元は雑誌が出版流通の主軸でした)が影を潜めつつある今の時代にまったく合っていません。
まして年間7万点もの新刊書籍が発行され、一度出荷したはずの本の半分が、結局は売れずに返品されてくるというひどいありさまです。

そこで僕が注目したのが「オンデマンド印刷」でした。
高性能プリンターに製本機がついたコンパクトな印刷機で、1冊からでも印刷・製本できるのが従来の印刷機とは大きく異なる点でした。アメリカのアマゾンではすでに、このオンデマンド本の販売サービスが始まっていました。従来の印刷より割高で、低定価の本には向かないなど、いくつかの課題もありましたが、高い付加価値のある本を世に送り出せれば「コスト問題」は乗り越えられそうです。

「これで在庫問題が解決できるかもしれない」
「需要予測に基づいて、最小限の在庫だけ持てばいい」
「オンデマンドでパイオニアになれば、新しい領域だけに勝てる可能性がある」

販売チャンネルとしてアマゾンを使えば、流通上の問題と販売機会の喪失という2つの課題も克服できます。決済サイトを自ら立ち上げて販売・発送する手間も省けるし、SEOにも強いアマゾンなら、一定のマージンを払ってもペイできるでしょう。

あとは自分のこれまでの出版人としての20年の経験と人的ネットワークがあれば、自社の出版レーベルを立ち上げ、オンデマンド印刷という新しい方式を採用することで、ほぼ無在庫で、オンライン販売というもっとも成長率の高い販売チャンネルで勝負できるに違いありません

僕は本気で「出版革命」を起こすつもりで、クリエイトブックスを立ち上げたのです。

●幸先の良いスタートと新たな課題

クリエイトブックスから出版した第一弾はロングセラーとなり、著者にとっても、誕生したばかりの版元にとっても幸運なスタートとなったのです。

幸い、友人経由で紹介された著者候補の方から編集のご依頼をいただき、自社レーベルから初めての本を刊行する機会がやってきました。
『トイレの神様に聞いた秘密の開運法 運呼の法則』
というやや長いタイトルの本を書いたのは、ユニークで尊敬できる存在で、おまけに年も同じで応援したくなる人物でした。水晶天然石の仕入れ販売をやっていただけにセールスのプロで、しかも「全国で講演会をしたい!」というパッションもあります。僕は意気投合して、その本の編集を手がけたのです。

半年後、本を出版すると、今後は販促活動のスタートです。
知り合いの雑誌編集長に声をかけて、カラー2ページで大体的にご紹介いただいたり、某大手キャリアのメルマガで本が紹介されるなど数多くのチャンスにも恵まれ、幸運にも『トイレの神様』はアマゾンでベストセラーになりました。船出したばかりの出版社にとって、これほど嬉しいことはありません!
出版後、著者さんは開運関連ということもあり、本業の水晶天然石の販売も順調に伸びて、文字どおり「ウィンウィン」の関係を築くことができました。

ただ同時に、いくつかの課題も出てきました。僕自身が編集に力を入れすぎて時間がかかり過ぎてしまうこと。講演会ではサイン本の販売ができるので良いのですが、アマゾンのシェア率が当時はまだ10%ほどしかなく、販売数がそう大きくは伸びないこと。そして電子書籍「キンドル」の販売数もまだ微々たるものだったのです。

でも僕の読みは当たりました。その後のアマゾンの成長率は素晴らしく、あれよあれよという間に紀伊国屋を抜き、ツタヤを抜き、今やシェア20%の日本一の書店です。またキンドルの売上はコロナ禍で伸びて、ときには紙本の売り上げを凌駕する月もあるほどです。

僕自身もウェブサイトを立ち上げ、メルマガを発行し、小冊子をダウンロードする仕組みを導入しました。また、無料小冊子から出版セミナーにお誘いするなど、「ダイレクト・マーケティング」を実践して、著者さんとの出会いにつなげていきました。その後に発行した本も、アマゾンの現代思想で10週連続1位になるなど、出版プロデューサーとしての実績を積んでいったのです。

この本は、大手出版社から刊行された著名作家本に伍して、「現代思想」というジャンルで10週連続ベスト1位を獲得。とあるブロガーさんに紹介記事を書いていただいたことがきっかけでした。

ただ全員の本がベストセラーになったかというと、実はそうでもなかったのです。
「せっかく本を出版しても、売れる人と売れない人との違いがあるのはなぜ?」
僕は大いに悩みました。
そして、一つの結論に達したのです。

●売れる人は「〇〇」をもっている人。

作家の本田健さんは、デビューからわずか十数年で800万部ものベストセラー作家になった方として知られています。自己啓発からスピリチュアル本まで幅広く、ファンも多いですよね。僕は、健さんの講演会やセミナーのボランティアスタッフとして働きながら、健さんがどうやってベストセラーを生み出しているのかを間近で観察する機会をいただきました。

僕がそれまでプロデュースした商業出版本の実績は、さまざまな販売促進活動にも関わらず、売れてもせいぜい10万部止まりです。新聞書評に載り、アマゾンキャンペーンを展開して、セミナーや出版記念パーティーも開き、オンラインセミナーで100人集めたりもしました。そうやって精魂込めて活動しても、累計でようやく100万部(カレンダーを除く)。健さんの800万部には到底、およびません。

「どうやったらその差が埋められるのだろう?」

僕はその秘密を、出版プロデューサーとして、どうしても知る必要があったのです。
そうやって10年がかりで研究させていただいた結果、ある秘密」を発見したのです。
それは、とてもシンプルなことでした。

要点をまとめると、次の6つのことだったのです。

【本田健さんがベストセラー作家になれた6つの秘密】

  • 多くの人が関心あるテーマを選び、半歩先の提案をする(「幸せな小金持ち」「セミリタイア」「人間関係のマトリックス」ほか)
  • ウェブに強いマーケターを雇い、メルマガからの物販・セミナーまで、戦略的なマーケティングをする(販促への投資)
  • 小冊子を起点とした「ダイレクト・マーケティング」を徹底して実践する(マーケティングファネルの構築)
  • 人脈を育み、その道の第一人者から受けた教えを愚直に実践する(メンターの存在)
  • 数千人規模の講演会からサイン会まで情熱をかけて行なう(人の何倍も努力する)
  • 出版とビジネスを掛け算して、信頼ベースのファンビジネスで売上を伸ばす(バックエンド販売

このようにまとめてしまうと「なんだ、そんなことか」という人が必ず現れます。
そうなんです、いわば当たり前のことをやっていたに過ぎなかったのです。
ただ本田健さんの素晴らしいところは、それを並外れた量で徹底してやり遂げることです。
最近はやりの言葉でいうと「コミットメント」、わかりやすくいうと「絶対にやると決める」ことです。

例えば無料小冊子を大量に配ってバックエンド商品(高付加価値・高額商品)を販売する方法は、マーケターの神田昌典さんが日本に紹介して以来、大勢の人が実践していますが、誰一人として本田健さんのレベル--100万人に無料配布する--ではやっていません。

本多健さんは、作家デビュー前に小冊子を十万部も無料で配布したことがきっかけで、最初の商業出版を実現しました。

 

マーケティングにしても、何人もの優秀なマーケターを雇い、時間とお金をかけて実施した上で、成功したものもあれば、そうでもないものもあったのです。100冊を越す著作も、全てがベストセラーというわけではありません。
でも、それらの活動を楽しそうに、ときにサインのしすぎで腱鞘炎になったりしながらも、情熱を持ってやりきる。
そして、自分に投資し、人にも投資する。

--つまり、単なる理想論者や夢想家ではなく、生粋の実践者であり、目標達成の達人だったのです。

そんな健さんの生き方は、その後、僕が「人生を変える」ために必要な勇気と希望を与えてくれたのです。

●サラリーマンから起業家への転身

サラリーマン時代、僕が編集担当した本がベストセラーになっても、カレンダーのシェアがナンバーワンになって「社長賞」をもらっても、実はあまり給与は増えませんでした。
自分がいくら稼いでいるか数字は抑えていたので、「最もコスパのいい社員」と自虐ネタで誤魔化すしかありませんでした。何より長時間労働で、プロジェクトマネージャーになっても、多いときで年間21タイトルものカレンダーを担当して、変に頑張っていたのです。「範を垂れる」というと言葉が古過ぎますが、要は「頑張るのはカッコいいこと」とどこか深いところで信じ込んでいたのです。

でもその後、多くのマーケターや起業家と接するうちに、自分の信念がボロボロと崩れ落ちていきました。彼らは人に任せて働いてもらうプロで、汗をかくのは脳みそだけです。そして、資金を出したり、計画を承認したりして、投資のリスクを背負いながら、成功すればその利益をしっかり手元に残すという、いわば堅実な生き方をしていたのです。
正直に言って、「自分が信じ込んでいたことはなんだったんだろう!」と目からウロコが落ちました。言い方は悪いのですが、あるメンターの言葉を借りると、それまでの自分はまさに「奴隷マインド」だったのです。そのことに気づいてから「生き方を本気で変えよう!」と決意を新たにしました。
でも、実はそこからが長かったのです...。
完全に信念を書き換えて、新しい生き方--人生のすべての責任を自らが持つこと--を実践できるようになったのは、つい最近のことです。

僕の父はもちろん、祖父も勤め人です(祖父は出版人でした)。曽祖父は書道家でしたが、その前は商売人でした。明治という大きな時代の転換点に家土地を売って上京し、自分の才能を信じて新しい地平線を開いていった人です(『書家・歌人 岡山高蔭の伝と作品』として伝記が出版されています)。だから僕は、3世代前の曽祖父の生き方を心に想い描いていました。

 

いま僕は、会社を卒業して起業したことを、最良の出来事だったと断言できます。
年収が1000万を超え、パソコン一台で世界中のどこでも仕事ができるワークスタイルで、元気になってくれた奧さんとの旅行も(コロナ前までは)自由に楽しんでいます。都内のホテルのロビーでも、リゾート地でも、好きな時、好きな場所で、心から尊敬できる、本気で応援したくなる方とだけ仕事をさせていただいています。

そうやってたどり着いた先に、ある一つの「答え」がありました。
どうすれば、僕が時間とお金をかけて辿ってきた道を「ショートカット」できるのか?という問いへの答えです。
それを発見したのは、あるクライアントさんの課題を解決する方法を探していた時でした。

ベトナムの新しいリゾート地ダナンのホテルでリゾートワーク。ホテルは川に面していて、海にも近く、山へはタクシーで移動できる距離。おまけに百貨店までは徒歩圏という好立地でリゾートライフ&ワークを楽しみました。

 

●ショートカット(抜け道)は存在した!

「20年間営業してきて、月の売上として過去最高益でした!しかもほぼ粗利です!」

この嬉しい報告をしてくれたクライアントさんは、日本海に面した地方都市で足つぼマッサージの店舗を2つ経営していました。
スタッフ教育はもちろん、資格認定事業も立ち上げて、後進を育てることにも着手していたのですが、日々体力的な限界と、自分に代わる優秀なスタッフの育成を急務と考えていたのです。
そして何よりも、病気になる前にその予兆を発見し、だれもが足から健康になっていただきたい--というすばらしいビジョンをお持ちでした。

おまけに、コロナで店を閉めたり、営業時間を短縮する店が出始めたタイミングです。
クライアントさんのお店は幸い、客足はそう減らなかったのですが、資格認定事業がピンチに陥っていました。
なにしろ集客のきっかけとなる健康教室や講演会が軒並み中止となり、いつ再開されるかまったくメドが立たなくなってしまったのです。

僕はこれまで経験した数々の失敗理由と、成功事例をじっくり検討しました。
成果を出したクライアントさんはどんなビジョンを目指し、そこまでどんなプロセスを辿ったか。
そして、本人はもちろん、それをリードした僕自身も驚く結果を得られた理由は何だったのか--。

ピンチをチャンスに変えたのは、小冊子を作ったことがきっかけでしだ。そこには「オンライン講座」の案内チラシを入れたのです。

 

その方は、ご自身の知識や経験と共に、足裏マッサージを始めたきっかけ、そしてどんな想いで施術をしているのかを小冊子にまとめました
もちろん、たくさんのお客様が健康になった事例と感謝の声も掲載しています。そしてその巻末に、一枚のチラシを同封したのです。
それは、今までお店で開いてきた足裏マッサージ教室を「オンラインで開催する」という新たな事業展開への第一歩となりました。
それがきっかけで、未経験だったオンラインでの開催にも関わらず、講座は過去最高の利益を上げることができたのです。

今この方は、小冊子で書いた内容をベースに、次の出版の準備をしながら、「未病で悩む多くの方へ貢献する」というビジョンの実現を進めています。

●成功のカギを受け取るために。

クリエイトブックスを創業して以来、とても幸いなことに、すばらしい著者(の卵)との出会いが続き、出版活動は順調に成長しています。
そのほとんどは、僕の小冊子を受け取ってくれた方か、その方たちからのご紹介です。
またウェブサイトから申し込んでいただければ、すぐに小冊子と同じ内容のPDFファイルをダウンロードできる仕組みを作ったので、こうしている間も次々と新たなお申し込み・お問い合わせをいただいています。

おかげさまで成功事例は日々増えていますが、その一部をご紹介させてください。

成功事例】小冊子→Kindle電子出版→新サービス販売へ

もともとFP(ファイナンシャルプランナー)として豊富な経験を持つ女性で、集客用の小冊子をバージョンアップして、Kindle版の電子書籍を出版。Amazonの著者ページで自らのプロフィールを写真付きで掲載できる「著者デビュー」を果たしました。FPとしての経験と実践をベースに、エネルギーワークと掛け算するという新しいサービスが人気で、個人セッションは予約が絶えない状態に。高田秀美さんの成功事例はこちら。

 

成功事例】小冊子→記念パーティー→バックエンド販売へ

ご主人のリタイアのタイミングで、パートナーシップの大切さを説いた小冊子を奥様と共同制作。無料で1,000冊配布し、小冊子完成記念パーティーに100人を集客しました。その会場で、ビジョン心理学をベースにしたパートナーシップのためのコーチングプログラムを発表。無料カウンセリングを経て、10人のご成約をいただきました。須藤英彦・美喜子ご夫妻の成功事例はこちら。

 

成功事例】小冊子→講座テキスト→協会設立→商業出版へ

オリジナルの呼吸法を広めるために、小冊子を作った藤麻美子さん。講座のテキストとして利用したところ好評で、仲間に応援されて協会も立ち上げたのです。その後、小冊子をベースに商業出版にも成功。立て続けに3冊出版されて、健康雑誌にも取り上げられるまで認知が上がりました。いまはオンラインで講座セミナーを提供しながら、呼吸法の普及を進めています。藤麻美子さんの成功事例はこちら。

 

【成功事例】講演会→出版→プレスリリース→新聞掲載→ベストセラーに

江戸の幕末史が専門の大学教授を招聘して、地元の歴史についての講演会を開催したのですが、その講演録を残そうという意図からオンデマンド本を出版しました。幸いにも人生初の出版は朝日、読売、東京新聞の3紙に記事として取り上げられ、地元の書店でもベストセラーになりましたが、そのきっかけは出版後のプレスリリースだったのです。川中正憲さんの成功事例はこちら。

 

成功事例】協会テキスト作成→出版→物販→海外展開→コーチングメニュー

あるハーブティー協会の理事だった方は、オリジナルのハーブティーブレンドを開発する才能があり、その協会のテキストも制作するほどの実力の持ち主でした。その経験をさらに開花させたのが、かねてから願っていた商業出版の実現でした。知り合いをツテに編集岡山とお会いしたことを契機に、様々な課題をクリアされて、ごく短期間でまったく新しいハーブティーブレンドのメニューを開発して出版。巻末のQRコードからオリジナルハーブティーを販売する仕組みも、出版と同時に立ち上げに成功。時期を同じくして海外への事業展開も経験されたのです。現在はコーチングプログラムをベースに、クライアントにとってベストなオリジナルブレンドハーブティーの提供も行ない、さらにファンを増やしています。しばたみかさんの成功事例はこちら。

 

成功事例】自費出版→オンデマンド出版→読者プレゼント→講演会→バックエンド販売→協会設立

40年の歴史・宗教研究の成果を自費出版で販売したものの、一冊も売れず、途方に暮れていたところでクリエイトブックスとの出会いがありました。編集サイドの提案を受けて新しい原稿を書きあげ、読者の興味関心と著者の伝えたいことがつながる構成に大幅変更。アマゾンでの「オンデマンド出版」をスタートしたところ、インフルエンサーの評価が高かったこともあり、現代思想分野で10週連続1位を獲得。さらに、巻末の読者プレゼント企画からは1,000人を超すご応募をいただきました。東京駅近くでの人生初セミナーも成功し、その収録音声の販売も好調で、現在はメルマガと会報誌の発行と並行して、協会設立の準備を進めています。斎藤敏一さんの成功事例はこちら。

 

そのほかのクライアントの成功事例はこちらをご覧ください。

●あなたは、どちらの「人生」を選びますか?

ここまでの長いストーリーをお付き合いいただき、ありがとうございます。
僕がお伝えしたかったことは、「人生の決断」の大切さです。

あなたは、このままの人生で満足でしょうか?
もしそうなら、おめでとうございます! 心から祝福させてください。

でももしあなたが、かつての僕や僕のクライアントさんのように

「このままの人生では嫌だ」
「今死んだら後悔する」
「なにがなんでも、人生を変えたい!」

そういうコミットメント(決意)があるのなら、僕のブックレット(小冊子)を下の「お申し込みボタン」からぜひ、受け取ってください。
どうすれば、最短最速で出版を実現し、その後の人生で大きな変化を手に入れることができるのか、その秘密の全てを書きました。
必ずあなたのお役に立つはずです!
でも、単に興味本位で読もうという人は、どうぞご遠慮ください。あなたの時間が無駄になるだけです。

僕はこの小冊子を2009年から配り始めていますが、すでに数千人の手元に届いています。
そして、その中の何人が実践し、何人が夢を実現したかをだいたい把握しています。
だから、本気の人には効果があるけれど、そうでない人には意味がないどころか、
「読んだけれど効果がなかった」とクレームが来ることも承知しています。

でも、受け取ってくれた人の何人かの人生が、このブックレットで実際に変わったことは、先ほどあなたにもご紹介したとおりです。
そのときどんな道をたどったのか、どんな果実を手に入れたのかまで、このブックレットの中で詳しくご紹介しています。
ここまで読んでくれたあなたにだけ、お礼に特典を3つ付けてご提供させていただきますので、ぜひ受け取ってください。

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あなたは、ご自分の才能と未来に、どれだけの情熱を「投資」できるでしょうか?
自分が思い描いた未来を実現できるのは、誰の力によるのでしょうか?
このメッセージが、 あなたの人生を変えるきっかけになれば幸いです。

さあ、次はあなたの番です。

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