「人生が変わる出版」とは?僕が出版マーケティングを勧める理由。

      2021/11/02

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こんにちは、出版×マーケティングプロデューサーの岡山泰士です。
クリエイトブックスのサイトを訪れてくれて、本当にありがとうございます。

あなたは「本を出版して人生が変わった」という話をどこかで聞いたことはありませんか?
僕はこれまで120冊以上の本をプロデュースしてきましたが、出版の前後で人生が変わらなかった人は、一人としていません。
みなさん多かれ少なかれ、出版が人生のターニングポイントになり、大きな飛躍をしています。
特に、処女作、つまり人生初の本を出版したときほど、劇的に人生が変わっています。

僕がなんのためにクリエイトブックスという出版社を立ち上げ、出版×マーケティングのノウハウを皆さんにお伝えしているのかというと、多くの人に、このすばらしい「出版」という体験をしていただくことを通じて、「人生が変わるお手伝い」をするためです。

ここでは、自己紹介がてら、クリエイトブックスを始めた経緯をお伝えすることで、
たまたまこのサイトを通じてご縁ができたあなたの「人生を変える」きっかけにしていただければと思い、このブログ記事を書いています。

●大好きな出版社を辞めなければならなかったワケ

僕は山と溪谷社という、山と自然の専門出版社に25才で入社しました。
高校は山岳部、大学はワンダーフォーゲルという山歩きサークルに所属するほどの大の山好き、自然好きで、山と溪谷社の本や雑誌は小学生のころから読みあさっていただけに、まさに天職でした。

愛読者は皆親しみを込めて「ヤマケイ」と呼ぶのですが、そのヤマケイをどれだけ好きだったかというと、実家に『ヤマケイカラーガイド』という図鑑が何冊もあり、小学生のころから知らず知らずに手に取り、読んでいたのが最初の出会です。

中学になると、近くの図書館にある「探検・冒険」コーナーの本はほとんど読み尽くしていたのですが、特に、当時世界一のクライマーだった「ラインホルト・メスナー」のドキュメンタリーには憧れ、胸を躍らせました。そして、その本を出版していたのも山と溪谷社だったのです。


男子高校に入学すると、そのラインホルト・メスナーに憧れて山岳部に入りました。
山岳部の部室には図書館から払い下げられた月刊誌『山と溪谷』の30年分のバックナンバーがあり、暇なときはいつも部室でその登山雑誌を読んで過ごしました。

ワンダーフォーゲル部だった大学時代には『山と溪谷』の読者モデル(アルバイト)として、残雪期の南アルプス甲斐駒岳に登る機会をいただいたのですが、交通費も食費も不要で、快適な山小屋にも泊めていただき(普段はテント泊まりでした)、しかもバイト代までもらえて「なんていい仕事なんだろう!」と感動しました。おまけにその時にプロのカメラマンさんが撮ってくれた僕の登山中の写真が雑誌の表紙に選ばれたこともあり(『山と溪谷』1991年12月号)、いま思い出しても楽しい気分にさせてくれる、本当に心に残る取材でした! 

そして、このわずか2泊3日の体験が、その後の僕の人生を決定的に変えてくれたのです。

背中しか写っていませんが(笑)雑誌の表紙に掲載されたのはこれが最初でした!本当にたのしい取材体験で、その後の「人生を変える」きっかけになりました。

大学から大学院までは植物生態学の研究室で絶滅危惧植物の研究をしていましたが、その研究室のメンバー全員が、山と溪谷社から刊行されていた『山溪ハンディ図鑑シリーズ』を愛用していたのです。当然、僕も一冊買って背中のリュックに常備して、日本各地のフィールドに出るたびに持ち歩いたのはいうまでもありません。

実はその頃、大学院の博士課程に進み、研究者への道を模索していたのですが、自分よりもはるかに優秀な人たちでさえ全く就職できない(大学で採用されない)現実を目の当たりにして、人生の行く末についてあれこれ考えを巡らせていました。

気分転換でもしようと、ひさしぶりに大学図書館で月刊『山と溪谷』をパラパラめくっていると、もう9月だというのに、「社員募集」の告知が掲載されていたのです。僕の脳裏に、数年前の楽しかった取材登山のシーンがありありと蘇ったのはいうまでもありません。僕は速攻で履歴書と課題の作文を書きあげ、山と溪谷社に募集したのです。

就職試験の勉強もろくにせず、実際テストの点も悪かったのですが(後で採用担当だった部長に教えてもらいました)、面接の際、僕が山と溪谷社に何をもたらし、どのようなことを実現したいか、明確なビジョンを伝えたこともあり、その志ひとつで採用されることになりました(簡単にいうと、出版未定の図鑑の刊行と、そのデジタル化です)。

入社後、月刊『山と溪谷』編集部に配属されると、誌面を通して見知っていた編集者や著者、カメラマンやイラストレーターが大勢いました。一読者として身近に感じていた世界にいきなり飛び込んで、「雑誌の誌面づくり」という立場で山と編集の現場に参加できる毎日が、心底たのしくてしかたなかったのです!

その後、書籍編集部に異動となったのですが、2冊目に企画編集した本『オーロラ 太陽からのメッセージ』が新聞各紙の書評欄に取り上げられてベストセラーになったこともあり、社内でも徐々に編集者としての仕事ぶりを認められて行きました。

またカレンダー事業に可能性を見出して、社内でプロジェクトチームを「勝手連」で立ち上げ、営業部や生産管理部との調整、出版時期と原価の取りまとめなどの裏方仕事を進めていくうちに、徐々に会社に認められ、会社公認のプロジェクトマナージャーとなったのです。

その後の様々な販売施策や品質改善が功を奏して、10年後にはカレンダー業界のシェアナンバーワンの売り上げを獲得。出版業界誌『新文化』にもインタビュー記事が掲載されるまでになりました。

カレンダーの仕事では、華道家の假屋崎省吾先生とご一緒させていただいています。1日で13作品を作るすばらしい集中力と天才的な才能を間近で拝見できるのが、この仕事の醍醐味です。

 

ところがその後、出版不況で会社が傾き、銀行が入ったりしてすったもんだした挙句、山と溪谷社は売却されて、ある一部上場企業の子会社になってしまいました。バブルの頃の放漫経営がたたり、急激な市場の変化に対応できなかったのです。

この時、山のようにあった不良在庫の処分などに伴い、親会社に対して4億の負債を負わされての「第二のスタート」となりました。

「これでようやく給料カットもなくなる!」

と大喜びするみんなの中にいて、僕はこの4億円の意味を考えざるを得ませんでした。

(この巨額の負債がある限り、ヤマケイは単なるお荷物会社だ。早く借金を返さないとたいへんなことになる......)

そこで僕は、ますますカレンダー事業に力を入れることにしたのです。
それから4年後、カレンダー事業単体の収益だけで毎年2億を稼げたこともあり、わずか4年で「借金4億」をすべて完済することができたのです(会社決算が1億の黒字を4年続けた)。

「ようやく、これで肩の荷が下りた......

もちろん喜びもありました。ところが、そのとき僕はふと我にかえったのです...。
僕が仕事にかまけている間に、学生時代からずっと一緒だった最愛の奥さんが原因不明の病で倒れ、食事が喉を通らないばかりか、目も耳も不自由な状態に陥っていたのです--。

それまでは彼女の実家のご両親に面倒を見てもらうなどしながら、なんとかやり過ごしていたのですが、もうとてもそれだけで対応できるような状態ではなく、医者にも原因不明と見放され、すでに現役を退き体力も落ちていた義母や義父に、これ以上の負担をお願いするわけにも行きません。

僕はさんざん悩んだ上で、とうとう大きな「人生の決断」をしました。

「ちょうどマンションのローンも完済しているし、今なら退職金も出る。いっそ独立して、自分の力を試す時ではないか?」
「その方が、奥さんの介護をしながら自分のペースで仕事ができる」

幸い、事業アイデアは明確にありました。だから僕は思い切って、それを試すことにしたのです。

●出版界に革命を!

それまでに出版界をいろんな立場で見てきました。労働組合の委員長として経営者と対峙し、その後は出版健保の互選議員を務めて業界全体の問題を俯瞰して見る機会もいただきました。市況がずっと悪い中で、「黒船来襲!」と恐れられたアマゾンが、送料無料など常識はずれのさまざまな施策で徐々に市場を拡大している時期でもありました。

出版業界のいい面も、わるい面、舞台の表と裏の両方からじっくり観察しながら、どうすればこの旧態然とした業界が直面する課題を乗り越えることができるか、キリキリとした緊張感の中で全力疾走しながら考える--そんな感覚で日々を過ごしていたのです。

出版業界でいまもって最悪なのは「流通」です。

読者の立場で言えば、すでに当時からアマゾンではオーダー翌日には「送料無料」で本が届いていたのですが、一般の書店では、在庫の有無もすぐにわからないばかりか、仮に在庫が確保できても、店舗で頼んでから読者の手元に届くまで1、2週間かかることはざらでした。

著者の立場から見ても、大きな問題がありました。
それは、ある程度、本が売れなくなると「絶版」といって、本の流通がすべてストップさせられることです。これは、一定数をまとめて印刷しないと原価割れしてしまうので、重版の判断が難しいという問題と、倉庫代や在庫価値(資産か不良在庫かの判断)との兼ね合いもあり、出版界全体が抱える構造上の問題でもありました。

また出版社側から見て一番の問題は、書店さんからの「返品」です。書籍は委託販売なので、売れなかった本はそのまま返品されてくるのですが、たいていは汚れたり折れたりして、破棄の対象になるか、汚れた部分を削り、カバーをかけ直し、再出荷するまで倉庫で保管します。そのためわざわざ返品専門倉庫を持ち、パートのおばさんたちの手を煩わせながら、再び出荷するまで長期間にわたって保管しなければなりません。ところがその大半は、再び陽の目を見ることもなく、結局は処分されることも多いのです。

このような出版流通の仕組みは、戦中・戦後にかけて書店取次が統廃合されてから続いている旧態然としたもので、かつて元気だった雑誌という大衆メディア(元は雑誌が出版流通の主軸でした)が影を潜めつつある今の時代にまったく合っていません。まして、年間7万点もの新刊書籍が発行され、一度出荷したはずの本の半分が、結局は売れずに返品されてくるというひどいありさまです。

そこで僕が注目したのが「オンデマンド印刷」でした。

高性能プリンターに製本機がついたコンパクトな印刷機で、1冊からでも印刷・製本できるのが従来の印刷機とは大きく異なる点でした。アメリカのアマゾンではすでに、このオンデマンド本の販売サービスが始まっていました。従来の印刷より割高で、低定価の本には向かないなど課題もありましたが、高い付加価値のある本を世に送り出せれば「コスト問題」は乗り越えられそうです。

「これで在庫問題が解決できるかもしれない」
「需要予測に基づいて、最小限の在庫だけ持てばいい」
「オンデマンドでパイオニアになれば、新しい領域だけに勝てる可能性がある」

販売チャンネルとしてアマゾンを使えば、流通上の問題と販売機会の喪失という2つの課題も克服できます。決済サイトを自ら立ち上げて販売・発送する手間も省けるし、SEOにも強いアマゾンなら、一定のマージンを払ってもペイできるでしょう。

あとは自分のこれまでの出版人としての20年の経験と人的ネットワークがあれば、独自の出版レーベルを立ち上げ、「オンデマンド印刷」という新しい方式を採用することで、ほぼ無在庫で、オンライン販売というもっとも成長率の高い販売チャンネルで勝負できるに違いありません

僕は本気で「出版革命」を起こすつもりで、クリエイトブックスを立ち上げたのです。

●幸先の良いスタートと新たな課題

クリエイトブックスから出版した第一弾はロングセラーとなり、著者にとっても、誕生したばかりの版元にとっても幸運なスタートとなったのです。

幸い、友人経由で紹介された著者候補の方から編集のご依頼をいただき、自社レーベルから初めての本を刊行する機会がやってきました。

『トイレの神様に聞いた秘密の開運法 運呼の法則』

というやや長いタイトルの本を書いたのは、ユニークで尊敬できる存在で、おまけに年も同じ。応援したくなる好人物でした。水晶天然石の仕入れ販売をやっていただけにセールスのプロで、しかも「全国で講演会をしたい!」というパッションもあります。僕は意気投合して、その本の編集を手がけたのです。

半年後、本が無事に出版されると、すぐに販促活動のスタートです!

知り合いの雑誌編集長に声をかけて、カラー2ページで大体的にご紹介いただいたり、某大手携帯キャリアのメルマガで1000万人の読者に大体的に紹介されるなど、信じられないほど多くのチャンスにも恵まれ、幸運にも『トイレの神様』はアマゾンでベストセラーになったのです。船出したばかりの出版社にとって、これほど嬉しいことはありませんでした!

出版後は、同じ開運グッズとして、著者さんの本業である水晶天然石の販売も順調に伸びて、本と物販は文字どおり「両輪」で成長していったのです。

ただ同時に、いくつかの課題も出てきました。僕自身が編集に力を入れすぎるために時間がかかり過ぎてたくさんの注文に応えられないということ。著者さんの講演会ではサイン本の販売ができるので本の売れ行きも良いのですが、アマゾンのシェア率が当時はまだ10%ほどしかなく、販売数がそう大きくは伸びないこと。そして電子書籍「キンドル」の販売数もまだ微々たるものだったのです。

でも、数年後には、僕の読みは当たっていたことが徐々に証明されていきました。その後のアマゾンの成長率は素晴らしく、あれよあれよという間に老舗の紀伊国屋書店チェーンをぶっちぎりで抜き、レンタルビデオ店を併設するTUTAYA(蔦屋書店なども経営)さえも抜き、今やシェア25%超の「日本一の書店」です。またキンドルの売上はコロナ禍で伸びに伸びて、クリエイトブックスの販売データでは、紙本の売り上げを凌駕する月もあるほどです。

マーケティングの仕組みも徐々に構築していきました。

ウェブサイトを立ち上げ、メルマガを発行し、小冊子をダウンロードしていただく仕組みを導入。リストは毎月、確実に増えていきました。無料小冊子から読者に出版セミナーをご案内するなど「ダイレクト・マーケティング」を実践し、著者さんとの出会いと信頼構築につなげていったのです。

その後にクリエイトブックスから発行した本も、幸いなことに多くの読者に応援されて、たとえばアマゾンの現代思想という分野で10週連続1位になるなど、出版×マーケティングプロデューサーとしての実績を積んでいったのです。

この本は、大手出版社から刊行された著名作家の本に伍して、「現代思想」というジャンルで10週連続ベスト1位を獲得。とあるブロガーさんに紹介記事を書いていただいたことがきっかけでした。

ただ全員の本がベストセラーになったかというと、実はそうでもなかったのです。
「せっかく本を出版しても、売れる人と売れない人とのあいだで大きな違いがあるのはなぜだろう??」
僕は大いに悩みました。そして、一つの結論に達したのです。

●売れる人は「〇〇」をもっている人。

作家の本田健さんは、デビューからわずか十数年で800万部ものベストセラー作家になった方として知られています。自己啓発からスピリチュアル本まで幅広く、ファンも多いですよね。僕は、健さんの講演会やセミナーのボランティアスタッフとして働きながら、健さんがどうやってベストセラーを生み出しているのかを間近で学ばせていただく機会をいただきました。

僕がそれまでプロデュースしてきた商業出版本の実績は、さまざまな販売促進活動にも関わらず、売れてもせいぜい10万部止まりでした。新聞書評に載り、アマゾンキャンペーンを展開して、セミナーや出版記念パーティーも開き、オンラインセミナーで100人集めたりもしました。そうやって精魂込めて販促活動をしても、累計でようやく100万部(カレンダーを除く)。健さんの800万部には到底、およびません。

「どうやったらその差が埋められるのだろう?」

僕はその秘密を、出版×マーケティングプロデューサーとして、どうしても知る必要があったのです。

僕は本田健さんの元に足掛け10年間通い続け、ときにボランティアスタッフとしてセミナー運営をお手伝いさせていただき、ときにスタディーグループという勉強会を都内で主催して仲間たちと一緒に学びながら、「本田健」という稀有なベストセラー作家から多くを学ばせていただきました。そして、ある秘密」を発見したのです。

それは、出版界では誰もやったことがない、驚くべきことだったのです。
要点をまとめると、次の8つのことでした。

【本田健さんがベストセラー作家になれた8つの秘密】

  • お金と上手に付き合える人を増やして、お金の苦労から人々を解放するという壮大なビジョンを描く(幸せな小金持ち)
  • 多くの人が関心あるテーマを選び、時代の半歩先の提案をする(「ライフワーク」「セミリタイア」「人間関係のマトリックス」ほか)
  • 小冊子を起点とした「ダイレクト・マーケティング」を徹底して実践する(ファンのリストを作り、メルマガを発行する)
  • ウェブに強いマーケターを雇い、ホームページ作成や、メルマガ発行からの本の販促とセミナー開催まで、戦略的なマーケティングをする(マーケティングへの投資)
  • 出版とマーケティングを上手に掛け算して、信頼ベースの「ファンビジネス」で売上を伸ばす(バックエンド販売
  • 人脈を育み、その道の第一人者から受けた教えを愚直に実践する(竹田和平さん、櫻井秀勲さん、ジャック・キャンフィールドなどメンターの存在)
  • 数千人規模の講演会から少人数のお茶会まで情熱をかけて行なう(読者を「ファン」にする機会を作る)
  • ポッドキャスト、YouTube、クラブハウス、インスタなど複数のメディアで多面展開する(メディア戦略

このようにまとめてしまうと「なんだ、そんなことか」という人が必ず現れます。
そうなんです、いわばそれだけやれば成功するよなー!」ということを長期にわたってコツコツとやり続けていたに過ぎなかったのです。本田健さんの素晴らしいところは、これらを並外れた量で徹底してやり遂げることです。

最近はやりの言葉でいうと「コミットメント」、わかりやすくいうと「目標を定めたら、絶対にやると決めて、やり遂げる」ことです。

例えば、無料で小冊子を大量に配ってバックエンド商品(高付加価値・高価格帯の商品)を販売する方法は、マーケターの神田昌典さんが日本に紹介して以来、大勢の人が実践していますが、誰一人として本田健さんのレベル--250万人に無料配布する--ではやっていません。

健さんは、作家デビュー前に小冊子を十万部も無料で配布したことがきっかけで、最初の商業出版を実現しました。

 

マーケティングにしても、何人もの優秀なマーケターを雇い、時間とお金をかけて実施した上で、成功したものもあれば、そうでもないものもあったのです。100冊を越す著作も、全てがベストセラーというわけではありません。

でも、それらの活動を楽しそうに、ときにサインのしすぎで腱鞘炎になったりしながらも、情熱を持ってやりきる。そして、自分に投資し、人にも投資する--つまり、単なる理想論者や夢想家ではなく、生粋の実践者であり、目標達成の達人だったのです。

そんな健さんの生き方は、その後、僕が「人生を変える」ために必要な勇気と希望を与えてくれたのです。

●サラリーマンから起業家への転身

サラリーマン時代、僕が編集担当した本がベストセラーになっても、カレンダー業界でシェアがナンバーワンになって「社長賞」をもらっても、実はあまり給与は増えませんでした。

自分の仕事がいくら稼いでいるか数字はきっちり抑えていたので、「最もコスパのいい社員」と自虐ネタで誤魔化すことぐらいしかできませんでした。何より20年も長時間労働を続け、プロジェクトマネージャーとして年間5億規模まで事業を育てながらも、多いときでは年間21タイトルもカレンダーの編集を担当するなど、変に頑張っていました。

「範を垂れる」というと言葉が古過ぎますが、要は「頑張るのはカッコいいこと」とどこか深いところで信じ込んでいたのです。

でもその後、多くのマーケターや起業家と接するうちに、自分の信念がボロボロと崩れ落ちていきました。彼らは人に任せて働いてもらうプロで、汗をかくのは脳みそだけです。そして、資金を出したり、計画を承認したりして「投資」のリスクを背負いながら、成功すればその利益をしっかり手元に残すという堅実で賢明な生き方をしていたのです。

正直に言って、「自分が長年、信じ込んでいたことはなんだったんだろう!」と目からウロコが落ちました。言い方は悪いのですが、あるメンターの言葉を借りると、それまでの自分はまさに「奴隷マインド」そのものに染まっていたのです。

そのことに気づいてからは、「生き方を本気で変えよう!」と決意を新たにしました。
でも、実はそこからが長かったのです...。完全に信念を書き換えて、新しい生き方--人生のすべての責任を自らが持つこと--を実践できるようになったのは、つい最近のことで、自分の信念を書き換えて実現・実践できるようになるまでに10年近く費やしてしまいました

僕の父はもちろん、祖父も勤め人です(祖父は出版人でした)。曽祖父は書道家でしたが、その前は商売人でした。明治という大きな時代の転換点に家土地を売って上京し、自分の才能を信じて新しい地平線を切り拓いていった人です(『書家・歌人 岡山高蔭の伝と作品』として伝記が出版されています)。僕は、3世代前の曽祖父の生き方を心に想い描きながら、日々苦戦していたことになります。

いま僕は、会社を卒業して起業したことを、最良の出来事だったと断言できます。
年収が1000万を超え、パソコン一台で世界中のどこでも仕事ができるワークスタイルを確立し、元気になってくれた奧さんとの旅行も自由に楽しんでいます(コロナ前までは)。都内のホテルのロビーでも、海外のリゾート地でも、好きな時、好きな場所で、心から尊敬できて、本気で応援したくなる方とだけ仕事をさせていただいています。

そうやってたどり着いた先に、ある一つの「答え」がありました。

どうすれば、僕が時間とお金をかけて辿ってきた道を「ショートカット」できるのか?という問いへの答えです。それを発見したのは、あるクライアントさんの課題を解決する方法を探していた時でした。

ベトナムの新しいリゾート地ダナンのホテルでリゾートワーク。ホテルは川に面していて、海にも近く、山へはタクシーで移動できる距離。おまけに百貨店までは徒歩圏という好立地で、奥さんとリゾートライフ&ワークを楽しみました。

 

●ショートカット(抜け道)は存在した!

「20年間営業してきて、月の売上として過去最高益でした!しかもほぼ粗利です!」

この嬉しい報告をしてくれたクライアントさんは、日本海に面した地方都市で足つぼマッサージの店舗を2つ経営していました。

スタッフ教育はもちろん、資格認定事業も立ち上げて、後進を育てることにも着手していたのですが、日々体力的な限界と、自分に代わる優秀なスタッフの育成を急務と考えて苦労されていたのです。そして何よりも、病気になる前にその予兆を発見し、だれもが足から健康になっていただきたい--というすばらしいビジョンをお持ちでした。

コロナで店を閉めたり、営業時間を短縮する店が出始めたタイミングでした。クライアントさんのお店は幸い、客足はそう減らなかったのですが、資格認定事業が大ピンチに陥っていました。なにしろ集客のきっかけとなっていた健康教室や講演会が軒並み中止となり、いつ再開されるかまったくメドが立たなくなってしまったのです。

僕はこれまで経験した数々の失敗経験と、成功事例をじっくり検討しました。成果を出したクライアントさんはどんなビジョンを目指し、そこまでどんなプロセスを辿ったか。そして、ご本人はもちろん、リードした僕自身も驚くほどの結果を得られた理由は何だったのか--。

ピンチをチャンスに変えたのは、小冊子を作ったことがきっかけでしだ。そこに「オンライン講座」の案内チラシを入れて配布したのです。

 

その方は、ご自身の知識や経験と共に、足裏マッサージを始めたきっかけ、そしてどんな想いで施術をしているのかを小冊子にまとめました。小冊子には、たくさんのお客様が健康になった事例と感謝の声も掲載しました。そして巻末に、一枚のチラシを同封したのです。

それは、今までお店で開いてきた足裏マッサージ教室を「オンラインで開催する」という新たな事業展開への第一歩となりました。それがきっかけで、まったくの未経験だったオンラインでの開催にも関わらず、講座は過去最高の利益を上げることができたのです。

今この方は、小冊子で書いた内容をベースに、次の出版の準備を進めながら、「未病で悩む多くの方へ貢献する」というビジョンの実現を進め、インストラクターの育成を中心に事業を全国展開されています。

●「成功のカギ」を受け取るために。

クリエイトブックスを創業して以来、とても嬉しいことに、すばらしい著者と「著者の卵」との出会いが続き、「新しい出版活動」は順調に成長しています。そのほとんどは、僕の小冊子を受け取ってくれた方か、その方たちからのご紹介です。またウェブサイトから申し込んでいただければ、すぐに小冊子と同じ内容のPDFファイルをダウンロードできる仕組みを作ったので、こうしている間も次々と新たなお申し込み・お問い合わせをいただいています。

おかげさまで成功事例は日々増えていますが、その一部をご紹介させてください。

成功事例】小冊子→Kindle電子出版→新サービス販売へ

もともとFP(ファイナンシャルプランナー)として豊富な経験を持つ女性で、集客用の小冊子をバージョンアップして、Kindle版の電子書籍を出版。Amazonの著者ページで自らのプロフィールを写真付きで掲載するなど「著者デビュー」を果たしました。FPとしての経験と実践をベースに、エネルギーワークとを掛け算するという新しいサービスが人気で、個人セッションは予約が絶えない状態に。高田秀美さんの成功事例はこちら。

 

成功事例】小冊子→記念パーティー→バックエンド販売へ

サラリーマン卒業のタイミングで、パートナーシップの大切さを説いた小冊子を奥様と共同制作。無料で1,000冊配布し、小冊子完成記念パーティーに100人を集客しました。その会場で、ビジョン心理学をベースにしたパートナーシップのためのコーチングプログラムを発表。無料カウンセリングを経て、10人のご成約をいただきました。須藤英彦・美喜子ご夫妻の成功事例はこちら。

 

成功事例】小冊子→講座テキスト→協会設立→商業出版へ

オリジナルの呼吸法を広めるために、「小冊子」を作った藤麻美子さん。講座のテキストとして利用したところ好評で、仲間に応援されて協会も立ち上げたのです。その後、小冊子をベースに商業出版にも成功。立て続けに3冊出版されて、人気健康雑誌の誌面にも連続で取り上げられるほど認知が急上昇! いまはオンラインで講座セミナーを提供しながら、呼吸法の普及を進めています。藤麻美子さんの成功事例はこちら。

 

【成功事例】講演会→出版→プレスリリース→新聞掲載→ベストセラーに

江戸の幕末史が専門の大学教授を招聘して、地元の歴史についての講演会を開催したのですが、その講演録を残そうという目的でオンデマンド本を出版。人生初の出版は、幸いにも朝日、読売、東京新聞の3紙に記事として取り上げられ、地元の書店でもベストセラーになりましたが、そのきっかけは出版後に出した1枚のプレスリリースでした。川中正憲さんの成功事例はこちら。

 

成功事例】協会テキスト作成→出版→物販→海外展開→コーチングメニュー

あるハーブティー協会の理事だった方は、オリジナルのハーブティーブレンドを開発する才能があり、その協会のテキストも制作するほどの実力の持ち主でした。その経験をさらに開花させたのが、かねてから願っていた商業出版の実現でした。知り合いをツテに編集岡山とお会いしたことを契機に、様々な課題をクリアされて、ごく短期間でまったく新しいハーブティーブレンドのメニューを開発して出版。巻末のQRコードからオリジナルハーブティーを販売する仕組みも、出版と同時に立ち上げに成功。時期を同じくして海外への事業展開も経験されたのです。現在はコーチングプログラムをベースに、クライアントにとってベストなオリジナルブレンドハーブティーの提供も行ない、さらにファンを増やしています。しばたみかさんの成功事例はこちら。

 

成功事例】自費出版→オンデマンド出版→読者プレゼント→講演会→バックエンド販売→協会設立

40年の歴史・宗教研究の成果を自費出版で販売したものの、一冊も売れず、途方に暮れていたところでクリエイトブックスとの出会いがありました。編集サイドの提案を受けて新しい原稿を書きあげ、読者の興味関心と著者の伝えたいことがつながる構成に大幅変更。アマゾンで「オンデマンド出版」をスタートしたところ、インフルエンサーの評価が高かったこともあり、老舗版元の著名著者の本を差し置いて「現代思想」分野で10週連続1位を獲得。さらに、巻末の読者プレゼント企画からは1,000人を超すご応募をいただきました。東京駅近くで開催した人生初のセミナーも成功し、その収録音声の販売も好調で、高額な書籍の販売も実現。現在はメルマガと会報誌の発行をしながら協会設立の準備を進めています。斎藤敏一さんの成功事例はこちら。

 

成功事例】独自治療法→専門書出版→一般向けオンデマンド出版→協会設立→放送大学→バックエンド販売

富山医科薬科大学で漢方を専攻しながら医師国家試験に合格。独自の統合医療が評判となり、辻仲病院柏の葉・漢方未病治療センター長に就任。専門書を出版するも販売成績が不振で、マーケティング的な課題を抱えていた頃に、クリエイトブックスを著者から紹介されたことがきっかけで、アマゾンからオンデマンド本を出版。一般読者向けのマーケティング活動が功を奏し、放送大学のテキストに採用される。同時に、協会を設立してコーチングプログラムを中心に新たな未病対策の普及に努めている。喜多敏明先生の成功事例はこちら。

 

そのほかのクライアントの成功事例はこちらをご覧ください。

●あなたは、どちらの「人生」を選びますか?

ここまでの長いストーリーにお付き合いいただき、ありがとうございます。
僕がお伝えしたかったことは、「人生の決断」の大切さです。

あなたは、このままの人生で満足でしょうか?
もしそうなら、おめでとうございます! 心から祝福させてください。

でももしあなたが、かつての僕や僕のクライアントさんのように

「このままの人生では嫌だ」
「今死んだら後悔する」
「なにがなんでも、人生を変えたい!」

そういうコミットメント(決意)があるのなら、僕の小冊子『出版マーケティングの基礎完全ガイド』を下の「お申し込みボタン」からぜひ、受け取ってください。
どうすれば、最短最速で出版を実現し、その後の人生で大きな変化を手に入れることができるのか、その秘密の全てを書きました。きっと、あなたのお役に立つはずです。
でも、単に興味本位で読もうという人は、どうぞご遠慮ください。あなたの時間が無駄になるだけです。

僕はこの小冊子『出版マーケティングの基礎完全ガイド』を2009年から配り始めていますが、すでに数千人の手元に届いています。そして、その中の何人が実践し、何人が夢を実現したかをだいたい把握しています。だから、本気の人には効果があるけれど、そうでない人には意味がないどころか、「読んだけれど効果がなかった」とクレームが来ることも承知しています。

でも、受け取ってくれた人の「人生」が、この小冊子で実際に大きく変わったことは、先ほどあなたにもご紹介したとおりです。そのときどんな道をたどったのか、どんな果実を手に入れたのかまでを、この小冊子の中で詳しくご紹介しています。

ここまで読んでくれたあなたには、お礼として特典を3つご提供させていただきます。「コロナ危機」という大きな時代の転換点だからこそ、期間限定でご提供していますので、ぜひ、今このタイミングで受け取ってください!

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・シークレット解説「動画セミナー」(1時間)

・編集者が泣いて喜ぶ「売れる企画書フォーマット」
・人生を変える「新ブックマーケティング実践会」体験セミナー優待券

あなたは、ご自分の持って生まれた才能とすばらしい未来に、どれだけの情熱を「投資」できるでしょうか?
自分が思い描いた未来を実現できるのは、誰の手によるのでしょうか?
このメッセージが、 あなたの人生を変えるきっかけになれば幸いです。

さあ、次はあなたの番です。

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