あなたは、後悔しない生き方をしていますか?
2015/11/30
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人はサボりたい、怠けたいと思いがちです。
僕もそうだし、あなたもそうではありませんか(笑)
でもその一方で、「オトナの責任」というものを身につけない限り、人からの信頼や信用を得ることも、家庭を持つことも、人生に於いて後悔しない生き方を選ぶこともままならないことも知っています。
目次
■オトナの責任
社会的な責任というとやや言葉は重いけれど、「オトナの責任」とは、要は「人との約束を守る」ということに尽きます。
家賃を払うこと
家計簿をつけること
締め切りに間に合わせること
家族を養うこと
部屋を掃除すること
健康を維持するよう努めること
いつも笑顔ですごすこと
遅刻しないこと
仕事で人に役立つこと
これはみな、約束であり、責任でもあるし、自分の人生を生きて、生き切ることに欠かせないですよね。
でもいちばん肝心なことは、自分が死んだとき後悔しない人生を生きているかどうかだ、と思うのです。
■後悔しないで生きるとは
人はいつ、死が訪れるのかを誰も知らない。
自分に死が訪れるなんて、あなたは想像できるでしょうか?
家族の誰かを失うことをあなたは想像できるだろうか?
もしここで、僕やあなたがそのことを想像できなかったとしたら、
それは死の間際に「後悔」を、それも「強烈な後悔」をするかもしれません。
僕は自分の死について考えたとき、あまり怖くなかったのですが(これまで何度か山や海で、あるいは車の運転中に死にかけた)、妻を失うことを考えたとたん、その後の虚しい人生を生きることに強烈な恐怖を抱いたのです。
■強烈な恐怖心!と妻への想い
おそらく何年も、何十年も、毎朝起きる度に、そして起きている時間のほぼ一時間おきに、そして寝るときに、夢の中でさえ、いつだって僕は妻を失ったことを後悔するでしょう。
妻の温かさや優しさ、
喜びやおいしい手料理、
美しく飾られていた花や、
整った居心地のいい部屋をいつも思い出しては
涙を流すでしょう。
そんな虚しさと埋められない空白に全身震えながら、
やがてすべての感情にフタをし、
喪に服したまま死ぬまでの日を数えながら生きるようになるのです。
それだけは嫌だ。
絶対に避けたい。
いくら叫んでも、泣いても、震えても、
誰もそこから救い出してはくれないだろうし、
神も仏もそんな僕を見守ることしかできない。
そういう人生だけは味わいたくないのです。
そう思ったら、今まだ生きていてくれる妻には感謝しかなくなるし、何をやっても許せるようになりました。
そして、今ある幸せを続けるためならなんでもやろうという気概が、自然と湧いてきたのです。
■僕の甘えゴコロ
僕は自分の中に「甘えゴコロ」がたくさんあることに、あるとき気づかされました。
それは、
「なにかトラブルがあっても許してくれるよね?」
「ちょっとぐらい遅れても笑って許してね!」
「僕もタイヘンで頑張ったんだから許してよ〜」
という、責任感のカケラも無い甘々のココロでした。
少なくともオトナの男には見えないし、そんな顔をして大人の男であるということは許されない。
なぜならカッコ悪すぎるから(笑)。
男ならカッコよく生きよう。
人生を後悔しないように生きよう。
大好きな愛する妻が輝くように、できることは全部やろう。
そう思ったのです。
■奥さんを輝かせる方法
奥さんが、あの服がほしいといえば買ってあげる。
花がほしいといえば100本のバラを買う。
沖縄に住みたいといえば、沖縄に引っ越そう。
そう、彼女が僕のスイッチを押してくれるだけで、僕は全身全霊でその実現に向けて動き出すことを、あるときある瞬間から決めたのです。
そしたら何が起こったか?
奥さんの笑顔が増えたことはもちろん、自分の人生もおもしろいように回り始めました。
誰かのために、なにかのために、人は突き動かされて初めて、自分の本領を発揮できる
ということを、面白いように実感したのです。
■自分にスイッチを入れる方法
結局、人は弱いし、すぐ逃げるし、楽な方が好きですよね。
でも、もしあなたに子どもがいて、その子どもが重篤な病気やケガを体験してしまったらどうするだろう?
自分の命を投げ打とうと思うかどうかは分からないけれど、少なくとも
「できることはすべてやろう」
と思わない人はいないでしょう。
自分にスイッチが入るとはそういうことなのです。
■メメントモリとは
「メメントモリ」とはラテン語で、
「いつもそこにある死を思え」ということ。
人は誰もが、いつかやがて死を迎える。
それは誰にも避けられない。
と同時に、その死がいつ来るのかを誰も知らない。
明日かもしれないし、今日中かもしれない。
それは自分にだけ訪れるのではなく、
いちばん大切で、いちばん愛している人の元にも死は確実に訪れます。
これだけは100%逃れられない事実なのです。
その事実と向き合って生きるのか、それとも事実にフタをして生きるのか。
僕が言いたいのはそのことなのです。
もしあなたが、「死ぬとき後悔しない生き方」を選ぶのだとしたら、
何をやりたいですか?
自分の愛する人や家族、子ども、親に対して、
あなたは伝えたい言葉や感情を胸の内に残していないだろうか?
そしてそれを、いつ伝えるのだろう?
もしあなたが、「その想いを抱えたまま死ねない」というのであれば、
あなたにはそれを伝える、表現するという選択肢が今あることに感謝した方がいい。
なぜって、いまは好きなことを表現する自由も、それを伝える手段もたくさんある時代だからです。電話でも、メールでも、ラインでも。移動の自由もあります。
この先いつまでもこのすばらしい自由が約束されているかは、誰にも分かりません。特定秘密保護法が表現の自由を制限することだって、ないとは言い切れないのですから。
■人は死ぬ瞬間に何を想い、どうするか
飛行機が墜ちる瞬間、人は叫びにも似た想いを愛する人に伝えようとします。
御巣鷹山に落ちるJAL123便の乗客も、
マレーシア航空の17便や370便の乗客も、
もちろんアメリカ同時多発テロのユナイテッド93便、175便、
アメリカン航空の11便、77便の乗客もみな、
携帯電話や紙ナプキンや何かに愛する人への想いを残して、伝えようとしたに違いないのです。(すべての空の安全が今日も守られていることに感謝します!)
もし、あなたがいま死んで後悔することがあるのなら、すぐにラブレターや遺書のつもりで愛する人のために何かを書いた方がいい。
そしてもし、後悔が無い生き方をしているのだとしたら、「自分の人生を生ききっている数少ない人」としての生きる喜びを、誰かに伝えてほしい。
最初は身近な人だけでいいし、親しい友人だけでいい。ただ、その喜びの輪を広げてみてほしいのです。感謝の気持ちを伝えてほしいのです。
その「伝える手段」の一つに、あなたが「本を出版したい」と願うのならば、僕たちがあなたの夢の実現の力になります。
あなたの夢の実現にかかるのはわずか3か月、30万円だけです。